第11章 腕っ節のない女
ただ、それは現世の常識が通用すれば心置き無く安心できる縁だが……この世界は基本暴力が良しとされる世界だ。
この船に居住することになり同僚となったあの日から、例えば私を妹のように可愛がってくれるバカラさ……バカラ姉さんはとても親切で感謝している。だが──……
────
「どうだね、私と1杯付き合わないか?」
「……困ります」
ある日、昼食終わり自室へ向かう途中の道で来客者の貴族が絡みに来た時のこと。その男の身なりから察するに太客候補であることから邪険に扱うことも出来ず困っていた。
いつもなら適当にあしらうものの初っ端から壁に追い込み、いわゆる壁ドンなるものをされたため逃げることが難しかった。繁華街でなければ部下に頼み圧力をかけて解決するのだが、男との距離が近く部下に視線を向けられない。さてどう切り抜けようか、飽きるまでどれくらいかかるのだろうかと考えていると
「Bonjour, Monsieur?」
目の前に立つ男の後ろから聞き慣れた声が聞こえた。彼が振り返るとそこには麗しい美女──バカラが微笑を浮かべ立っていた。そして彼の肩には彼女の手が置かれている。……素手の。
「おお!これはこれは」
「グランテゾーロは楽しまれていますか?……こちら、落とされてましたよ」
男に話させる猶予を持たせずに彼女は笑顔を保ちつつ彼の手をとり、先程まで男のポケットから飛び出ていたはずのハンカチーフを手渡した。……やはり素手で。
「ああ私のだ、わざわざありがとうね」
「いえいえ、"お客様"ですから。ああそうそう、先程貴方の付き人が呼んでらっしゃいましたよ?」
彼女はそう言うと最後に両手で彼の手を強く包み込み、軽く引き寄せて彼に向こうへ行くよう促した。そこでようやく男は私から離れてくれた。
「そうかじゃあ急ぐとするよ。ありがとうね。」
「いってらっしゃいませ」
先程までしつこかった彼が簡単に私から離れて行き、その様子をぼうっと眺めていると男は案の定何処からともなく現れたバナナの皮に滑り、植木に身体を突っ込んで呻いていた。
「……ありがとうございます、バカラさん」
「いいのよ、それにあれくらいで済ませないんだから」
横に並んだバカラは手袋をはめつつ悪そうな笑みを浮かべている。あれだけ触れられ運を吸い取られた男が不憫に思えた。