第10章 砂と予兆
「───やばいやばい、やばい!」
一方『名前』は先程のクロコダイルとの会話では考えられないくらい焦っていた。いや、ずっとひた隠していただけに過ぎない。
クロコダイルとテゾーロには見破られなかったようだが、それは彼女の表情筋が関係している。
何せこの世界に来た時から奴隷になるといった状況になっていたのは勿論、現世でのブラック企業勤めで───彼女の表情筋は死んでいたのである。
最近は命の危険があるにしろ適度な睡眠、運動、食事をとれる環境であるグラン・テゾーロにいるため、感情が伺えるほど回復はしていた。
しかし、先日のドフラミンゴによる騒動の後処理でまたも彼女の表情筋は死にかけに陥り、今回それが幸をなして彼らに『名前』の心情が伝わることなく切り抜けられたのである。
───まあ勿論、今の『名前』は一切気づいてないしそもそも現状に焦りすぎてそれどころじゃないが。
「はぁっ……このままじゃ、クロコダイルが出たら───頂上決戦でルフィが!……いや、インペルダウンから出られなくなる!」
そう彼女はクロコダイルが脱獄したと言った辺りからそれしか頭にない。
……ルフィがここに来ないなんてことになると『名前』の願いはもう叶わないのだから。
「とりあえず『青年』を探さなきゃ、ああもう──こんな時に限って会えないし……会う手段がない!」
胸元にある電伝虫は彼からは着信のみしかとれない。『青年』は能力のこともあって、彼に繋がる手段を残さないから何も出来ない。
彼は私を気にかけてくれているからいつもなら関係ないことがあっても現れるのだが……
人混みの中、脇目も振らず『青年』を探していた『名前』はついに疲れて立ち止まった。賑やかな周囲の声が頭に響く。
「……どこ、どこなの……?」
彼と先程食事した場所は当然いない、彼が暇つぶしに寄っている賭博場もいない。彼はどこにいるんだろう。
息を整えつつ彼がいるであろう場所を脳内で網羅する。ふと彼と初めて会った時のことを思いだした。
「……あの日、彼と話したあの場所なら───!」
この船の端、海が見えて静かな彼に教えてもらったあの場所。
『青年』が素性を明かしてくれたあの場所へ『名前』は歩を進めた。