第5章 追懐
「聞いていたね?」
其処には1人の男が立っていた。黒い髪にニッコリと笑った表情。
白衣からしてここの医者だろうか。外見からして何と言うことは無い特筆すべき特徴のない男だったが、ただ1つ。
口元は笑っているのに、目が笑っていなかった。
「むぐっ!?」突然口を覆われた。何かを吸わされた訳ではないが、何となくイヤな予感がした。男は真顔に戻っていた。
鋭い翠の目が、優凪の瞳を射抜くように此方を見詰めていた。
「ーー悪いね。ちょっと回数が多いけど、もう一度…してもらうよ」
そこで男はまたニタリと笑った。程なくして、スーッと床が抜け落ちる様な感覚と共に何かーー大事なものが欠けた感じがした。
もしかしてだが、これは夢ではないのだ。私の実体験の追憶なのだ。
其処まで思い至った所で、今度は本当に「床が抜けた」。
いや違うーー床がぐにゃりとねじ曲がりーー辺りは暗闇に包まれた。まるで井戸の中にでも落ちて行くかの様な感覚がした。
目が覚めた。先程と同様に、自分は病院服を着ていた。
ただ違って居たのは目の前に傷だらけの人間が横たわっていた事とーー首筋に刃物を当てられていた事だ。
「その人間の心臓を貫け。君の異能力なら出来るだろう?」
真後ろから声がした。ナイフの持ち主だろう。
そしてその声は先程の目の笑っていない男と同様のものだった。
「……嫌です、と言ったら?」自分の意志とは勝手に唇が動いた。
「なあに、簡単さ。ーー君もこうなるだけさ。」
さあ、どうするーー男は優凪の右手を掴み、目の前のボロボロになった男性の心臓部分に置いた。
「想像するんだーー空気中の水分は全て君の味方だ。
それらが氷の刃となり、心臓を突き刺す様を。」
優凪は想像し、これから自分が成すことに震えた。
ーー目の前の人を殺す?私が??こんなにも傷だらけになった人を殺して何になる??
「この人を生かすことは「出来ないね」
提案はあっさりと却下された。ナイフが少し、喉に食いこんだ。
「さあ、殺るのか、殺らないのかーーどっちかな?」
「っつーーー」
優凪との意志とは無関係に、手から氷の刃が出現した。
男は心臓を刺されーー即死だった。
「よく出来ました」
後ろの男ーー翠の瞳の男がニタリと嗤う気配を感じた。
パチパチとわざとらしく拍手をして、優凪の前に回り込む。