第28章 よすがもなにも、どこにも
「なあ、それやめないか」
「なにをでしょう……?」
「先生って呼ぶの」
頬杖をついてこちらを見やる先生は少し楽しそうな表情をしていて。この人、きっと私の反応を楽しんでいらっしゃる。
「……無理です、ね」
「せめて外ではさ。なんかいけないことしてる気分になるだろ」
「ううん、確かに……じゃあ、先輩?」
「却下」
「……相澤、さん」
チラ、と伺うように見てみればジトリと私を見る目があって。
「そこは普通名前だろ」
「無理ですよっ……!」
「まあ今はそれで譲歩してやる、癒依」
「ぅひぇっ」
不意打ちで呼ばれた名前に思わず変な声が漏れればくつくつと笑う。至極面白くて堪らない、そんな顔でこちらを見る先生を軽く睨むように視線を送っても更に笑みを濃くするばかりで憎らしい。
「揶揄うのも大概にしてくださいよ……消太さ、ん……?」
私ばかりが遊ばれて面白くない、そう思って恥ずかしさを押して口にした名前に面食らった顔をした相澤先生はそのあと少しだけ頬を赤らめていた。それでなくても恥ずかしいのに、更に増すからやめて欲しい。
名前で呼び合うなんてまるで砂糖水を飲んだように甘ったるい関係のようで。私達は、そんな関係などではないのに。駄目だ、これ以上踏み込んだら。傷付くのには慣れたはず、それを承知でこの手を取ったはずなのにこれ以上傷付くのは嫌なのだ。
「……や、やっぱり今まで通りで行きましょう」
「そう、だな」
私同様に未だ照れている様子の相澤先生はどうしてそんな反応をするのだろう。普段呼ばれることのない名前を呼ばれたことによるものなのか、それとも私が期待してしまうような感情を抱いたのか。結局都合よく考えようとする自分自身に笑いが零れてしまう。なにを、馬鹿なことを。