第1章 蛍
夏の朝日が部屋に差し込み始めた時、伊東様は既に身仕度を整えていた。
刀掛けから大刀を取ったその目を見た瞬間、私はやっとすべてを悟った。
こんな目を、見た事がある。
武士だった父も兄も、派閥争いに負けて離散後は行方知らずだが、最後に家を出た日、同じ目をしていた。
幼い頃、攘夷戦争に向かう武士達を見送った事がある。彼らも、同じ目をしていた。
帰れぬ道を、決して引き返せぬ道を、そうと分かって進む男の目だ。
私は息を飲み込んだ。
遊女が客との別れ際に口にする言葉は、「また来ておくんなまし」だ。
心からでも、口先だけでも。
吉原の女は、皆そう言って笑って男を送り出す。しかし、私が今、この目をした男に言うべき言葉は。
私は三つ指ついて頭を下げた。
「伊東様」
「何だ?急にかしこまって」
目の奥が痛む。けれど、泣いてはいけない。
「伊東、鴨太郎様。ご武運を、お祈り申し上げます」
「…君には、敵わないな」
下げたままの頭を優しく撫でられる。
「行って来る。君は、待たなくて良い。幸せに」
その言葉が、最後だった。
足音が遠ざかり、若い衆(吉原の男性従業員)が伊東様を見送る声が聞こえた時、私は吉原に売られてきてから初めて、声をあげて泣いた。