第3章 四天宝寺の王子様
遥の視線が、じっと白石へと注がれる。彼女の視線を正面から受け、ほんの一瞬訝しげな表情を見せたものの、人が良い彼はすぐに柔らかい笑みを浮かべ軽く頭を下げた。
そして、何事もなかったかのように去っていく。こちらに背を向け凛と背筋を伸ばし歩いていく白石に、名前は心の底から安堵した。知らず知らずのうちに握りしめていた手を、ゆっくりと解けば感覚が少し鈍くなっていた。オマケに爪の跡がくっきり残っている。
ーーそんなに、力入ってたんだ…。
無意識というものは恐ろしい、と名前は自身の手を眺めながらぼんやりと思った。横一列に並んだ爪の跡。それが手のひらにくっきりと残っている。
「ねぇ、ちょっと」
ただぼんやりと手を眺めていた名前の耳に、少し怒りの色を滲ませた声が滑り込んできた。反射的に顔を上げれば、腕を組み苛立たしげに片眉を上げた遥と視線が絡みついた。
ピリリ。空気が痛かった。不機嫌さを隠しもしない遥はいつも威圧的なオーラを与えてくる。名前はそれがとても苦手であった。息苦しい、といつも思う。息が詰まって死にそうだと、思った。
ーーなんで私がこんな不機嫌さぶつけられるんだろう…。
ぽつり。心の中で不満を漏らし、顔には笑みをはりつけた。
「ごめんごめん、ぼーっとしてた、何?」
「なにじゃないでしょ。何アイツ。なんでアイツと抱き合ってたわけ?」
「だ、抱き合ってなんかないよ!…さっきも言ったけど、よろけた所を支えてくれただけ。それに驚いて固まっちゃって…ほら、私男の子と接した事あんまりないから、驚いちゃって。あはは」
ぺらぺらすらすらと動き言葉を紡ぐ口。何故こんなに必死で口を動かす必要があるのか。まるで、後ろめたい何かを必至で隠し誤魔化すかのように忙しなく動く名前の口。
事実しか述べていない筈なのに、口から言葉を吐き出せば吐き出すほど。言葉を紡げば紡ぐほど、遥から視線は鋭く、冷たく、痛いものになった。
遥の綺麗な目が、名前をその中に閉じ込める。彼女と瞳の中に閉じ込められている自分は、何かに怯えているようで酷く滑稽だとーー名前は思った。