第1章 おやすみ
お礼がしたいと言う彼女にそんなのいらないと苦笑を返す。彼女は俺の言葉に悲しそうな表情で「そうですか」と言って俯いた。
「今日はなんの用事でここに?」
「好きな作家さんの、サイン会で」
ふむ、と口元に手を当てる。
乗りかかった船だ。これも何かの縁、ってやつ。
俺は手首の端末に触れ宙に現れたいくつかのアイコンの中から受話器のアイコンに視線を向けた。
そこから職場の電話番号を選ぶと通話が始まる。
「すみません。今駅なんですけど具合悪い人がいて。遅刻してもいいですか?」
『なんじゃそりゃ』
「お願いします」
『いや、いいけどね?メンテナンスは済んでるの?』
「はい。店長にしてもらいました」
『オーケー。あくまでまだ試運転中ってことお忘れ無きよう。残業嫌だからね!なるべく早く来てね!』
「了解です!ありがとうございます」
彼の明るくも心配をにじませた声色に頭を下げた。ビデオ通話じゃないから相手には見えないけれど。
ひとまず仕事は大丈夫そうだ。
座り込んでいる彼女に目をやると一層青ざめた顔で俺を凝視していた。
「お、おしごと……なんで……大丈夫なんですか……」
「ああ。ほっとけないから具合良くなるまで付き添うよ」
「そんな、悪いです!」
「もう遅刻の連絡したし」
「ううう……」
頭を抱えて唸る彼女はなんだか可愛らしい。
病人に向かって可愛いなんて言うべきじゃないのだろうけど。
それからサイン会の時間を聞いて、近場の休めるところを検索した。いかがわしいホテルやらネットカフェやらが候補に上がり、慌ててブラウザを閉じた。
俺が知っているところだとテラス席のあるカフェか、公園のベンチくらいだ。彼女に希望はあるかと聞くと、金欠だから公園で、と返ってきた。
「了解。近くに海浜公園があるからそこでいい?」
「はい、ありがとうございます」
「辛かったら掴まって」
「……すみません」
謝るかお礼を言うかしかしないな、この子は。
話してみると最初の印象より随分幼さを感じた。もしかしたら高校生かもしれない。
だとしたら俺犯罪者、一歩手前……?
ひやっと背筋が冷たくなる。
未成年に触れた罪は大きい……よく訴えられてる大人がニュースに出てるからな。