第17章 上総介の場合
「あ、兄上っ、絶対に元康殿に種を撃ったりしてはなりませぬから!」
「おまえ…」
「あああっ…兄上のせいで、種を撃つなどと下品なことを言ってしまったではないですか!」
「しかも二回も言ったぞ」
「ええっ…種を撃つなどと卑猥なことを二回も…!」
「三回…」
「もうっ兄上なんか大嫌いっ…」
食い気味に俺の言を遮って怒鳴ると、ぐしゃぐしゃになった小袖を床に打ち捨てて市は部屋を飛び出していった。
「おい!これは誰が畳むんじゃ!」
宿舎にしている農家の外に出てみたが、すでに市の姿は闇夜に紛れて見えなくなっていた。女どもの宿舎に帰ったのだろう。
「相も変わらず、すばしこい女よ」
市を呼び戻すのを諦めて部屋に戻ると、天井からくぐもった笑いが聞こえてきた。
「…チッ…」
盗み聞きなんぞして。
これだから、伊賀者は嫌なんだ。
「おい。用があるのなら、降りてこい」
「へーい」
天井に渡してある太い梁の上から、音もなく黒い影が落ちてきた。
板敷きに張り付くように、黒衣に身を包んだ影は平伏した。
「顔を上げよ。名は?」
「親方は無門と呼ぶ」
「無門…」
ろうそくの灯りの際に座ってトロンとした目をしている。
浅黒い顔を持つ伊賀者は感情を読み取ることが難しい。
まだ年は若そうだが…
厄介な奴だと、その細い体から滲み出ているではないか。