第1章 憧憬の背中
しかしながら、潤の思いなど全く見当もつかない娘は、無邪気にも潤の隣に腰を下ろすと、鼻を啜る度に上下する肩を乱暴に揺すった。
「もしかして…泣いているの?」
「ち、ちがわい、泣いてなんかないやい…」
図星をさされた潤は、それまで伏せていた顔を上げると、泣き腫らした顔を見られたくない一心で、着物の袂で乱暴に顔を擦り、
「そ、そうだ…、目、目ん玉ん中に虫が入っただけだから…」
咄嗟に見え透いた言い訳で誤魔化そうとした。
ところが、娘は潤の見え透いた言い訳を真に受けたのか、懐から藍色の手拭いを引っ張り出すと、それを川の水に浸した。
「こっちを向いて?」
娘は潤の頬を柔らかな手で包むと、濡れた手拭いを潤の目元に当てた。
「な、何すんでぃ…!」
潤は咄嗟にその手を払い退けた。
すると、
「あっ…」
小さな悲鳴と共に、手拭いは娘の手から滑り落ち、娘はそれを拾うことなく、俄に赤くなった手をもう片方の手で抑えた。
「…ごめん…なさい…、驚かせてしまって…」
見る見る鼻先を赤く染めて行く娘の顔。
違う…、謝らなきゃなんねぇのはおいらの方だ
潤は心の中で詫びつつも、それを口にすることが出来ず…
「もう…、行くね?」
青い鼻緒の下駄履きで、小石に足を取られながら去って行く小さな背中を見送ることしか出来なかった。