第10章 花脣なぞる指先に、彼の人の玉脣を想う
それから数日経った頃、智の元に見知らぬ男が訪ねて来た。
その男は翔と懇意にしている間柄らしく、翔からの文を預かっていた。
最初は不審がっていた智だったが、翔からの文を受け取ると、その男を翔が仕事場にしている板間に上げた。
「遠路はるばる、ご足労様でございました」
冷えた水で満たした湯呑みを、それはそれは丁寧かつ楚々とした仕草で差し出すと、床板に三つ指を着き、頭を深々と下げた。
余程喉が渇いていたのか、男は水を一息に飲み干すと、少しだけ湿り気を帯びた口元を袖で乱暴に拭った。
「すまんが、もう一杯水を頂戴しても?」
「え、ええ、それは勿論…」
智は空になった湯呑み茶碗を手にすると、瓶から水を汲んだ…が、ふと思い直して急須を手に取った。
空の急須に水を満たし、湯呑みと共に板間へと上がった智は、茶盆ごと男の前へと差し出した。
「これはありがたい」
男は豪快に喉を鳴らし二杯程水を飲み干すと、満足げに息を吐き出し、やはり袖で口元を拭った。
「はあ…、生き返った…」
「そ、それはようございました。それで、あの…」
渇いた喉も漸く潤ったのか、座布団の上に胡座をかいた男に、智は少々躊躇いがちにではあるが切り出した。