第9章 余香に彼の人想い、流れる涙
その後も、何度か智と押し問答を繰り返しながら、和也は熱心に祭りへと誘い続けたが、智が首を縦に振ることはなく…
このままだと、潤との約束が反故になっちまう…
なんとかしないと…
頑として意志を曲げない智に、和也にも焦りの色が見えて来た頃、漸く智の口から「少しだけなら…」と、渋々ではあったが、和也が待ち侘びた言葉が零れた。
ただそれは祭りの当日のことで…
折角だからと、普段よりも鮮やかな色の着物を着るよう薦める和也に、普段のままで良いと言って聞かず…
「ったく、あんた顔に似合わず頑固だな…」
すっかり呆れ気味の和也は、仕方なく智を鏡の前に座らせると、絹糸の様に柔らかで艶やかな髪を、普段よりも少し高い位置で結わえ、そこに和也が持っていた簪を刺した。
それは以前、常連客でもある歌舞伎役者から和也が贈られた、藍色の蜻蛉玉のあしらわれた物で、長屋住まいの身には高価な物ではあるが、和也の好みで無かったため、一度も身に着けたことは無かった。
「思った通り、あんたに良く似合う」
「そう…かしら…」
「それ、あんたにやるよ」
「え、でもこんな高価な物…」
智は首を横に振ると、結わえた髪から簪を抜こうとするが、和也の手が一瞬早くその手を掴んだ。
「いいってことよ。どうせあんまり気に入ってなかったしな」
和也は唇の端を少しだけ持ち上げると、智に笑って見せた。