第2章 彼の始まり
放課後に、職員室に進路調査票を出しに向かってて、角でうっかり人とぶつかった。
前方不注意だったんだ。……何となく、今日見た葦原さんの姿勢と、笑顔のことを考えてた。
あんな風に、自然に笑顔を作れたら、って。
「すみません」
ぶつかった拍子に落とした調査票を、相手がさっと差し出してくれるのを、反射的に受け取る。
「あ、ううん。こちらこそ」
差し出された手の先に、葦原さんがいた。
一瞬、息が詰まった。
真正面、今までにないくらいの近くにある葦原さんの顔は、さっき思い返してたような笑顔じゃなくて、なんだろう……何もない感じの顔だった。
まるで、思考の空白をそのまま表したみたいな。
「ありがとう」
とっさにワルツの笑顔を作って、調査票を受け取り立ち上がる。
変なところで練習の成果を発揮した僕は、顔の近さにどぎまぎする心臓を落ち着かせるのに必死だった。
「えっと……進路、決まった?」
ちょっと気まずそうに、葦原さんが声をかけてくる。
人の進路調査を、しかもこんなぎりぎりの時期に見ちゃったせいか、申し訳なさそうな声色で、むしろ僕の方が申し訳ない気持ちになる。
「あ、うん。一応」
せめてこれ以上気まずくならないようにと笑顔で返事をして、ふと思った。
――どうして、彼女は変わったんだろう。
ほとんど接点もなかった。接点を作ろうと思ったこともなかった。
そんな彼女が変わったことがどうしてこんなに気になるのか、僕自身もよくわからないけれど。
僕の中の何かが、もっと葦原さんを知りたいって、声を上げていた。
「葦原さんは?」
話を続けたのは、そんな理由もあって。
「私も、もう」
そっと視線をそらした葦原さんは、それでも背筋は伸ばしたまま、顔をうつむけることもしない。
そして、僕は、そんな彼女の額を正面から見ていた。
……あれ、僕。いつの間にか、葦原さんの身長、追い越してたんだな。
今までほとんど見えなかった葦原さんの表情は、彼女の雰囲気そのまま、素朴なやさしさが表れてる。
花岡さんみたいな華やかさとも、まこちゃんみたいなかわいらしさとも違う魅力があった。