第2章 彼の始まり
「そっか。……あの、葦原さん。
最近、姿勢良くなったよね。すらっとして、格好良く見える」
気がついたら、僕は、そんなことを口走っていた。
彼女は、名前を呼ばれて、一瞬びくっと体を震わせた。まるで、続く言葉におびえるみたいに。
それでも、縮こまりそうになる体を抑えて、もう一度背筋を伸ばす。
……強いな、って思った。
舞台に上がるたびに、緊張のあまり硬直してしまう僕なんかとは比べものにならない。
体を震わせた拍子につぶっていたまぶたが開くと、少し潤んだ目が僕を見る。
一拍おいて、赤くなった頬が持ち上がり、くちびるが弧を描いた。
「ありがとう」
真正面から僕を見たその笑顔は、今にも泣き出しそうで、ほんの少し歪んでいて、なのに、今まで見たどんな笑顔より輝いていた。
僕は、どんな顔をしたんだろう。
僕の口が勝手にどういたしまして、と動いて、彼女は笑顔をへにゃりと崩して、それでも笑った。
葦原さんが僕の横をすり抜けていく。
彼女が起こした風が僕の顔に当たって、僕はようやく動きを思い出した。
立て付けの悪い職員室のドアをがたがたと開けながら、僕は必死に息を吸って吐いて、それで精一杯なんて、思い通りにならない体に四苦八苦する。
扉を閉める力加減を失敗し、担任の先生にかけた声が上擦っても、僕の体のコントロールは戻ってこなかった。
「フジ田くん」
未だにがたがたする体を引きずって玄関に着くと、花岡さんがいた。
「今日はスタジオ?」
僕に手を振る自然な笑顔が、なぜかさっきの葦原さんの笑顔と重なる。
かあっと赤面する僕に、花岡さんが当惑する。
「どうしたの?何かあった?」
そう言いながら歩いてくる姿、ただの日常動作の一つ一つにも気品がただよう。
なんでもない、と、ごしごし頬をこすって顔を上げた僕の脳裏に、ふとしたひらめきが走った。
――そうか。花岡さんだ。