第1章 彼女の終わり
しばらくして、富士田くんが出てきた。着替えをしてきたみたいで、無地のTシャツに黒いズボン姿だ。ダンスシューズなのか、革靴みたいな靴も履いている。
スタジオの隅でひとしきり柔軟やストレッチをして、体をほぐしている。すごい、体柔らかい。
ちびちびココアを口に運びながら見ていると、やがて富士田くんは立ち上がって鏡の前に立ち、すっと姿勢を作った。
なんていうのかよく知らない。社交ダンスの、男の方の人のポーズ。
普段の姿勢でも首が長くなったように感じてたけど、この姿勢だとそれがもっとずっと強調されているみたい。
肩から腕にかけてのラインが、見たこともないくらい斜めに下がって固定されている。
動き出す。
ぬるり、と。
世界が、滑り出した。
一歩目は右足。
左足が開き、右足がすり寄る。
沈んだ体がぐっと浮き上がり、高い位置で静止する。――また動く。
緩急をつけた動きの中に、と、と、と、と一定のリズムが流れているのがわかる。
向きを変え、位置を変えてくるりくるりと回る体は、男性としては小柄な富士田くんとは思えないほどダイナミックに大きく動いていた。
最初は鏡を確認していた視線が、いつからかまっすぐ、遠くへ投げかけられていく。
時折ちらりちらりと見えるまなざしは、学校で歩いているときより柔らかいものなのに、ずっと真剣で。顔に浮かぶ大人びた微笑みは、幼い印象の顔立ちをぐっと大人っぽく見せていて、目が離せない。
何十周と、同じ動きを繰り返し繰り返していた富士田くんの体が、不意にぐらりとぶれた。
テンポを変えて、より大きく、複雑なステップを踏む。
キック、ターン、……そして、遠くを見ていた視線が伏せられ、すぐそこにある何かを見た。
その瞬間、
富士田くんと一緒に踊る「誰か」を、私は見たような気がした。
その誰かは、きっと今日見た彼女で、
富士田くんの視線は、信じられないくらいの熱のこもったもので。
正面玄関の扉の向こう、花岡さんと話す富士田くんの照れた笑顔が頭をよぎる。
かなわない。
甘い匂いが広がる。
地面に落ちた缶からこぼれたココアに、ぽつりと一粒、水滴が落ちた。
この瞬間、
私の初恋は、始まり、そして同時に終わった。
* * *