第1章 1
あるべきものがなくなったあの瞬間、俺は倒れそうになった。
自分を支えているつっかえ棒を、急に引っこ抜かれてしまったような感覚。
何とか踏みとどまって呆然と立ち尽くせば、監督の叱責が飛んできた。
煩い黙れと口に出かけた汚い罵声、必死でこらえて俺は駆け出す。どこに行ったどこに行く気だ駄目だ駄目だ許さねえぞ行くな行くな行くな行くな行くな行くな行くな行くな戻ってきてくれ!!!!
駆ける駆ける歩き慣れた校舎の中不意に疑問が浮かぶ、どこへ行ったらいいんだ?瞬間的に答えが浮かぶ、俺の心の向く方へ。これだけ長い付き合いだ、俺が分からないはずがないと思った、実際はそんなに長くもないんだが。
そして向かった校舎の一角、誰も気付かないような小さな窓。そこにいたのは銀色の髪の男、漆黒の髪の女。
俺は思う、何でテメェがここにいる?それは二重の意味、休憩しているはずの後輩、軽蔑していたはずの同級生。
どこまでもバカでしかないように見せかけ、その実本当に馬鹿な、みっともない女。それが視線の正体、俺が確かに愛した俺の理解者の正体。
そんなことを知って、俺に何ができる?
真摯で真面目な、真面目に過ぎる部活の後輩。それが、俺の視線を奪ったものの正体。
おまえがそれを好きだと知って、俺に何ができる?
俺にはわからなかった。だから俺は来た道を戻り始めた。振り返らないように、けして道の先にあったものを思い出さないように。
すべて忘れてしまえば、俺達は元に戻れるだろうか。
* * *
涙が出た。ずっと昔に失ってしまったはずの水。
光のかけらが、とめどなくあたしの頬を滑り落ちていく。
彼が去り、不意にあたしは抱きしめられ、耳元で好きです、という言葉がつむがれるのを聞いた。ああ、なんて感動的な言葉。
「鳳ィ」
「何ですか、先輩」
「あたしねえ、あんたがそう言ってくれること、たぶんどこかで待ってたのよ?
放課とか、朝とか、その辺で会うたびに。あんたいつもきらきら光る顔してさ。あたしに話しかけてきたじゃない?
あんたがまぶしかった。あたしをまっすぐ見てくれるあんたが。
でもさ、何でそのときに言ってくれなかったの?」
鳳は、戸惑ったような声を漏らして、答えの変わりにぎゅっとあたしを抱きしめてきた。