第零世界「メレンス」ースカ―ヴァイス・フィレアの章 始記
第4章 第四章「第八深淵少女」
「うーん...。それは、帰る時まで内緒かな。」
そう笑って水月ちゃんの手を取り直す。どうしても気になるのか、水月ちゃんは右手で何度も私の肩を叩く。数日間見てきたから分かるが、どうやら水月ちゃんは待つ事が苦手らしい。この様子だと、本当に三か月間待っていられるのか心配になる。
「ほーらっ、二人とも。早く行かないと、陽が暮れちゃうわよ。」
緑針さんは私と水月ちゃんに飛び付くと、二人を束ねるように寄せて抱擁する。靴のまま上がったのかと思い、緑針さんの足元を確認すると、ロングスカートに隠れる長さの黒の靴下が見えた。
「そういう所は、律儀なんですね...。」
土の上に横になった靴を眼にして、私は引き気味に笑みを零した。
「もう...。靴を脱いだら、ちゃんと揃えないと駄目だよ。」
水月ちゃんは緑針さんから離れてしゃがみ込む。手を一杯に伸ばして靴を取ると、縁側の下に正確に揃えて並べてみせた。立ち上がった時の水月ちゃんの表情は、非常に達成感に満ち溢れた小さな笑顔を咲かせていた。
水月ちゃんと先程の詩の話をしながら、沢山の木陰に囲まれた悪路を一時間ほど歩く。そうすると、一際明るく照らされた山門が目の前に見えた。山門の周りの地面は、小石も確認出来ない程に舗装されている。暫く光の差し込まない、暗く鬱蒼とした道を歩いて来たからそう感じるだけかも知れない。
「そう言えば、ここに来るのも久しぶりだな。フィが来る前に、お姉ちゃんと一緒に来たのが最後だったかな。」
水月ちゃんは山門の前に立ち止まると、橙に染まりゆく空を仰ぎ、小さく微笑んだ。あの日から、水月ちゃんの首元には二つの青い指輪が下げられている。水月ちゃんは最近、自分から進んで竹華ちゃんとの思い出話を、少しずつ話してくれるようになった。きっと、竹華ちゃんのいなくなったあの日の事を、本当の詳細を知れて、少しばかりでも気持ちが楽になったのだと思う。まだ幼かった頃に降り掛かった災厄。水月ちゃんの心の傷跡が決して癒えぬ事は、私自身も良く理解している。あの日のやり場の無い気持ちを、今も持ち続けて苦しんでいる。しかし、その悪魔から逃れい事も、今の水月ちゃんには一番分かっている。この数日間、私が水月ちゃんに出来た事は少ないだろう。だが、今はこの僅かな時間を大切に、傍に寄り添い支える事が私に残された最後の仕事だと思う。