第1章 抱かない客
隣に座り、酌をする。部屋には沈黙が流れる。こういう客は本当に苦手だ。
こちらから話しかけても、短い返事で面倒くさそうに返されてしまい、かといって閨に持ち込む様子も無い。
私の技量が足りないだけとも言えるのだが。
思いあぐねていたら、伊東様が口を開いた。
「君は何故、遊女になったんだ?」
「え?」
考えてもいなかった質問に、思わず間抜けな声が出てしまった。
遊女の来歴など、気にする客はまずいない。
間夫(まぶ※本気の客)にまでなれば別だが、まさか初回で聞かれるとは。よほど話す事がないのだろう。
「あちきは、これでも武家の娘だったんでありんす。父上が諍いに負けてお家断絶。一家散り散りになったあげく、売られたんです」
「ほぉ」
小さく声を上げる伊東様の眼は、私では無く窓の外を見ている。
「ここで働くのは再建資金の為か?」
「まさか」
私はつい苦笑した。
「そんな事、少しも望んでおりんせん。父上も、1人いた兄上も、どこへ行ったのか分かりんせんし。生きてるかどうかも」
「そうか。会いたいとは思わないのか」
「それは…」
どうだろうか。会って、どうなるのか。遊女になった私を見せて、何になるのか。
「そうですね。夢、くらいでなら」
にごした私を見て、伊東様は少し笑った気がした。
「そうか、なら、寝間着を裏返してみたらどうだ?いや、ここだと難しいか」
寝間着?あぁ…。
「小野小町でしたかね。寝間着を裏返して寝ると、想う相手の夢を見る…」
「…」
返事が無い。
そっと見上げると、伊東様は少し驚いた顔をされていた。少しずつ、この人の表情が見えてくる。
「驚いたな。君は…教養があるんだな」
「えぇ、大奥に上がれるようにする。というのが、父上の意向でしたから」
もし、本当にそうなっていたら、私とこの人の立場はまったく変わっていただろう。
遠目に見た事しかない江戸城を思い浮かべ、空になった伊東様の杯に酒を注いだ。
その夜、私は抱かれる事なく朝を迎えた。