第5章 青色ドロップ
それから数十分。名前はなにをするでもなく、ただじっと虚空を見つめていた。飲み物を飲むでもなく、ケーキに舌鼓をうつでもなく…ただ、虚空を見つめる。
ぴくりとも動かず、動けず。名前はただ黙って幸村が帰ってくるのを待っていた。
と、不意に自身のスマートフォンが震えた。LINEの通知を知らせるものだ。
慌てて顔を上げ、スマートフォンへと手を伸ばし画面を食い入るように見た。
"連絡が遅くなってごめん。宮野、転んで怪我したみたいで家まで送っていくから今日のデートはまた次回に持ち越しでもいいかな?お代は俺がもう払ってあるから平気だよ"
ぱき
ぱき
ぱき
絵文字もなにもない、その文章を読み終え、名前はそっとスマートフォンをテーブルへと置いた。
自分の出番を今か今かと待っていたフォークへと手を伸ばし、ケーキへと身を沈ませれば、それはとても柔らかくするすると皿まで到達していった。
美味しそうなそれを一口放り込んだ。
ーーあの子とは電話したりするのに、私にはLINEで済ませるの?
そう、頭の中で言葉が浮かんできた。
その瞬間ーー
ぱきんっ…
ぱら ぱら
ぱら
堪えていたなにかが、ひび割れ粉々に砕け散ったきがした。
先程まで出ていなかった涙は、いつの間にかボロボロと溢れていて、名前の顔をぐしゃぐしゃに濡らし、汚し、テーブルやスカートにぼたぼたと落ちシミを作っていった。
"お代はもう払ってあるから大丈夫だよ"
それはつまり、また戻ってくるといいつつも戻れないかもしれないと想定していたという事で。
幸村の言葉を信じただじっと待っていた自分が、酷く滑稽に思えた。
幸村精市が、大好きだ。
だけど、幸村精市がなにを考えているか分からない。
名前は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、席をたち鞄を掴むと駆け出した。
背中に張り付いていた女性店員の視線は、やはり不憫な者を見るような目で、名前は嗚咽混じりに更に泣いてしまう。
お気に入りのヒールをかき鳴らし、街の中をただひたすら走っていく。
途中何度か人にぶつかったが、小さく謝ってはまたすぐ走り出した。そしてまた一人、どん、と誰かにぶつかってしまった。