第5章 青色ドロップ
ただ手首を掴まれているだけ。それだけなのに、何故、丸井と幸村を比べているのか名前は自分でも分からなかった。
ただ、彼女の頭の中にあるのは先程見たクラスメイト女子と、幸村の楽しげな様子だけがどっしりと居座っている。いつものように心の中で笑い飛ばそうとしても、しっかりと根をはった木のようにそこに居座ったままだった。
幸村精市という男に恋をしていると、自覚した矢先に起きたこの事件。
未だ幸村への恋心に照れくささのようなものを感じている名前にとって、それが所謂"嫉妬"だと言うことにまるで気がつかなかった。
「あら?貴方調理部の…どうかしたんですの?」
不意に、鈴を転がしたような可愛らしい声が耳に滑り込んできた。
丸井の足が止まり、つられるようにして名前の足も止まり視線を声のした方へと向ければ今日もしっかりと腕章を腕につけた生徒会長が眉を顰めていた。
視線は名前に向けられている。
「生徒会長…おはようございます。いえ、特になにもないです。大丈夫です」
「……そう、ですの」
「はい。声を掛けてくださってありがとうございます」
軽く頭を下げ困ったような笑みを浮かべる名前に、生徒会長は納得いかないような表情を零しつつもそれ以上言葉はかけず、再び歩を進め始めた丸井と彼女を視線だけで見送った。本当に大丈夫ですの?。そんな言葉が聞こえてきそうな視線だ。
生徒会長の視線を背中でひしひしと感じつつも、先程クラスメイト女子と幸村がいたフェンスの所へとちらりと視線を向けてみるもそこには既に幸村の姿は見当たらなかった。
ただ、名前の瞳に映ったのは頬を上気させ、テニスコートを見つめるクラスメイト女子の姿だけ。その視線の先にいる人物を確認することなんて、名前には到底出来なかった。
人間、誰しも望んで傷つきに行く者なんていないだ。
心の傷というものは、体の傷なんかよりも深く深くーーそして根強く心の奥底に居座っていつでもトラウマとして蘇る。
そんな事態が起こらないようにするには、どうしたらいいのか?そう、見ない振りだ。
名前は自分の半歩先を歩く丸井の背中を眺めたあと、背筋をしゃんと伸ばし、真っ直ぐと前を見据えた。