第4章 黄色ドロップ
肩にジャージを羽織ったままだと言うのに、それを落とさずに綺麗な動きで相手から打たれた球を打ち返すのは幸村精市だ。
彼がテニス部の部長である事は知っていたし、テニスへと真剣に打ち込んでいる姿勢もよく理解していたつもりだがーー幸村がテニスをしている所を見るのは初めてで、教室で見る彼とはまた違う表情に心臓が心地よく騒ぎ始めた。きゅっと、心臓部分を握りしめる。
瞬きをするのさえ勿体無いと思うほど、名前は幸村精市を食い入るように見つめていた。
テニスをしている幸村は、花の世話をしている時とはまるで違う。まるで広いダンスホールの中で踊っているような軽やかな動きで球を打ち返しては相手の次の動きを読み、また打ち返す。
ーー凄い…。
心の中でぽつりと漏れた言葉は、酷くシンプルなものだったが、今の名前にはそれ以上の言葉が思いつかなかった。どんなに上手いことを言おうとしても、彼を見るとその言葉しか出てこない。
語彙力の欠如に思わず笑ってしまえば、なぁ、なんて声と共に突然視界に赤色が飛び込んできた。
「うわっ…!?」
視界いっぱいに飛び込んできた赤ーーいや、赤い髪色をした男に名前は思わず間抜けな声をあげた。
自然と体を後退させ、足が二三歩後ろへと歩き出せば、んなビビんなくてもいいだろい、なんて呆れた顔をされてしまった。驚きによりバクバクと煩い心臓を抑えながら、緑色のガムを綺麗に大きく膨らませた赤い髪の男をじっと見る。
ーーあれ…この人、何処かで…。
そこでふと気がついた。以前自分が教室を間違えた時に指摘してくれた男だと言うことに。違う教室だと言う事を指摘され、間抜けだな、しっかりしろ、と笑って言われた事を思い出し少しだけ苦い顔をしてしまう。
「君は…あの時の」
「あ?なんだお前、俺とどっかで会ったっけ?」
「あ…いや、覚えてないなら構わない。寧ろこちらとしては助かる…」
名前は彼のことを覚えていたが、どうやら向こうは初対面だと思っているらしい。
それならそれで、構わないと名前は心の底から思った。教室を間違え、挙げ句それに気付かず席に着こうとした事など恥でしかないのだから。