第8章 ドロップス
何度か重ね、味わった幸村の唇は、やっぱり柔らかくて気持ちがよくて。拒否しなければいけないはずなのに、名前はただ黙って寝たフリを続けた。
ーー幸村くん…。
かたん、とドアが開く音がして、幸村のそれが離れていった。唇の戦慄きが、今にもはじまりそうだった。
パイプ椅子から立ち上がった幸村は、名前の髪を軽く梳いてから、保健室へと戻ってきた保険医の元へと行き、少しだけ会話をした後出ていった。
「…まだ寝てるね」
傍らに来た保険医はそう呟いたあと、なにやら書類を手に保健室を出ていった。職員室にでも行ったのだろう。
かたん、とドアが開いて、かたん、と閉じる音。
それを聞き終えたあと、ゆっくりと体を起こし、膝を抱え膝頭に額を乗せた。
「っ…ぅ、っ…」
掛け布団越しに抱えた膝。溢れ出る感情と共に、勝手に溢れ出てきた涙がそれを濡らしていく。
名前の中で、しまって、殺していたはずのそれは、完全に殺しきれていなくて。なのに、それを幸村がまた引き出して、呼び起こした。
好きだと、愛してるんだと、心が叫んでいて。
今すぐにでも抱きつきたいと思ってしまった自分が酷く汚くて、名前は心の中で何度も謝りながら、幸村が触れた唇を軽く手の甲で抑えていた。
その日、名前は2時限目の授業までを保健室で過ごした。保健室を出る頃にはすっかり薬がきいており、体調は万全だった。その後は、何事もなかったように過ごした。
しかし、頭にあるのは幸村の事ばかりだった。
保健室で起きたことだけじゃない。幸村と出会った時の事や、他愛もない話をした事、デートでの事や、嫌がらせの事、そしてやっぱり、保健室で言われた言葉の事。
幸村に関する全ての記憶が脳裏に浮かんで、名前の頭を独占していた。
「名前、おい、名前…!」
「うわ!な、なに?!」
自分を呼ぶ大きな声に、名前は我に返ったように思考の海から抜け出した。
視線を声のしたそちらへとやれば、困ったような、悲しいような、そんな表情を浮かべている丸井がいた。なぜ?と首を傾げかけた時、ふと今が放課後である事を思い出した。