第7章 赤色ドロップ
唇同士が重なるまで、あと僅かだった。だが、それを名前の手が止めた。幸村の口元に自身の手を翳しながら、名前は涙でぐしゃぐしゃな顔で無理矢理笑みを浮かべた。
「…駄目だよ、幸村くん。私、丸井くんを裏切れない」
そう言った名前の言葉に、幸村の目は大きく見開かれ、瞬きひとつ落とした後ーー大粒の涙を零し、名前の手を濡らした。
縋り付くような幸村の腕の中からするりと抜け出して、名前は強く目を何度も擦り大きく深呼吸をひとつしてから自身の席へと戻り机の横に引っかかっていたスクール鞄を取り肩に掛けた。
ゆっくりと、歩を進める。
涙を流し、言葉を発すことも、動くとも放棄している幸村の横を名前は黙って通り過ぎドアの前までやってきた。
いつも見慣れているそのドアが、ぼやけた視界のせいで見たことのない異形のなにかに見えた。ドアにそっと手をかけ、横に流せばからからとか細い音が聞こえた。
真っ直ぐと前を見つめれば、窓の外から差し込む夕日で廊下はオレンジ色の道を作っていた。
「幸村くん」
「………」
「ありがとう。それと、手…ごめんなさい。テニスも、絵を描く事も、しづらいよね。本当にごめんね。あと、頬…お大事にね」
「…っ…名前っ、」
「大好きでした」
縋るように名前の名前を呼んだ幸村に、名前は残酷にもあの時と同じ言葉を吐き捨てた。
それは、名前からの遠回しな幸村への恋心の、捨て台詞だった。後ろで幸村が息を呑んだのが痛いほどに分かった。心臓が焼けそうな程に痛かった。苦しかった。
本当は、今すぐにでも後ろを振り向いて幸村に大好きと伝えたかった。
ーーけど、それをやったらダメなんだ。
名前は、脳裏に浮かぶ丸井の笑顔をしっかりと心に刻み込み、そっと廊下へと足を踏み出した。そのまま後ろ手でゆっくりとドアを閉めた途端、力が抜けてしまい力なく座り込んでしまった。
膝を抱え、声を押し殺して泣く名前を、数人の通りすがりの生徒達が訝しげな目で見ていたが、そんな事気にもならなかった。