第7章 赤色ドロップ
まるで自分自身が心臓になったかのように、心臓が早鐘をうっていた。
自分の存在を持ち主に知らせるかのようにやかましい心臓部分を、制服の上から強く握りしめた。呼吸が荒い。キスのせいか、驚きのせいか分からない。
名前と丸井の視線は先程の声の主ーー幸村精市がいた。
「部活停止中なのに、そんな事しているなんて…随分余裕だね」
窓の外から差し込んでくるオレンジ色が、廊下と幸村をオレンジに染めている。そのオレンジ色に染められた幸村は、無表情で言葉を紡いでいた。
まるで精巧に作られた人形のようにぴくりとも表情を動かさず、感情の読み取れない声で丸井へと投げられた言葉。びりびりとした空気が肌をさして、息が苦しくなった。
これが、常勝を掲げる立海テニス部部長ーー幸村精市が醸し出す空気なのかと、名前は理解した。教室にいる時の幸村とはまるで違う空気、オーラ。隣にいる丸井が生唾を飲んだのが、気配で分かった。
「ゆ、幸村くん…あはは、その、今から補習で…二人で行こうと思って…ははは…」
「丸井」
「は、はい!」
「来週の月曜…俺と打ち合いをしようか。腕が鈍っていないか、見てあげるよ」
目は笑わせず、口元だけで緩い笑みを作った幸村は少しだけ肩からずれたテニスバックを掛け直した。
オレンジ色に染まった幸村を、名前はぼんやりと眺めていた。丸井と幸村の空間だけのような気がしたから。自分は空気のようにただじっと息を潜めていた。
なのに、
「名前」
幸村が、優しく自分の名前を呼ぶものだから。
幸村が、泣きそうな顔をして自分を見つめるものだから。
「俺は、まだお前の事を諦めてない。俺は…まだ、お前のことが大好きだ。だから…これだけは言わせて」
丁寧に言葉を紡いでいく幸村に、名前の耳が、目が、神経が、幸村精市を求めて彼に集中する。
先程まで自分は空気で、幸村と丸井の世界だと思っていた筈なのに。今はまるで自分と幸村だけの世界のような気がして、名前は酷く動揺した。
「傷つけて、ごめん。俺…待ってるから。ずっと、お前を」
そういった幸村は、名前の言葉を待つことなくオレンジ色の道を歩いていった。
そんな後ろ姿を見送ったあと、黙って二人を見守っていた丸井はゆっくりと口を開いた。