第6章 緑色ドロップ
心臓が激しく早鐘をうつ中、名前は幸村の声に答えることはせず、ほんの数秒止まった足を動かしまた歩き始めた。
幸村の焦ったような声が聞こえ、前に歩くことが出来なくなった。幸村に腕を掴まれたのだ。
「……なに?」
自分でも酷く冷たい声が出てしまった。まずいと思ったが、口から言葉として出てしまったものは、もう消せない。
名前はつきそうになる溜め息を噛み殺して、ただじっと廊下を見つめた。
月曜日から金曜日まで毎日掃除はされているが、多くの生徒が行き来する廊下には微かに埃のようなものが転がっていた。広い廊下に、ぽつん、とそいつだけがそこに存在していて。
集団からハグれた間抜けな魚のようだ、なんて思った。
「名前、こっちを見て。お前どうしたんだい?今日、ちょっといつもと様子が違うよ」
腕を掴んでいた手が離され、代わりに名前の頬に触れそっと視線を合わさせられた。
相変わらず綺麗な顔をしている幸村の表情は、困惑の色が滲んでいる。
そんな幸村を一瞥したあと、そっと視線を外した。足元を見る。自分の上履きと、幸村の上履きが視界に入り込んだ。当たり前だが、足の大きさがだいぶ違った。
「別に普通だよ?どうしたの、困った顔して。それより私お昼食べなきゃいけないから。じゃあね」
「じゃあねって…名前も屋上来るだろ?いつも一緒に食べてたじゃないか」
「うん、一緒に食べてたね」
ーー止めて、
「幸村くんと」
ーー黙って、
「朋子と」
ーー喋るな自分…!
「私の、三人で」
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
心の中で何度もそう呟くのに、名前の口は止まらなかった。
「そこに、宮野さんは居なかったでしょ?。ね、ほら、二人で仲良くお昼食べてきなよ。私は教室で食べるし」
「名前…お前、」
「丁度今、見頃なんじゃないかな、あのお花。ほら、宮野さんにそのお花見せてあげなよ。お気に入りのお花のお話、聞かせてあげなよ」
冷淡な声が、淡々と言葉を紡いでいく。まるで打ち込んだ文字を機械が話しているようだった。それくらい、名前の口から吐き出された言葉は感情がこもっていなかった。