第8章 出発前夜
どんな奴が描いているのかと思って、俺は前に回り込むとそいつの顔を覗き込んだ。
そしてまたもやギョッとした。
そいつは瞬きもしないまま目を見開いて、ダラダラと涙を流していたからだ。
(なんだコイツは?なぜ泣きながら絵を描いていやがる)
全く理解の範疇を超えている奴に遭遇したとき、俺が取る反応は二通りしかない。
意味が分からない奴だと視界から消し去るか、逆に興味を引かれて近づくかだ。
エルヴィンに対する反応は後者だろう。
だが、ハンジについてはやや前者寄りかもしれない。決して嫌いな訳ではないが、時折、奇行種が過ぎる時があるからな。
こいつは、どちらだろう。
もう一度、そいつの姿をよく見てみる。
子どもみたいに小柄な体格に、小さな手。顔立ちも童顔で、兵士と言うにはやや頼りない印象だ。
だがその瞳は、ランプのオレンジ色の灯りを受けてもなおハッキリと分かるほどの濃いブルーだった。
いつだったか、エルヴィンの野郎に連れられて貴族の茶会に行ったことがある。
あの時にまとわりついてきた女が身に付けていた宝石と、コイツの瞳はどことなく似ている。透明感のある透き通った青。
飾り立てた貴族の女の胸元で輝いている宝石のことは、いけすかないと思ったが、こいつの瞳はキレイだと素直に思える。
「おい、お前」
なぜ泣きながらそんな絵を描いてやがる、と話そうとしたが、そいつはピクリとも眉を動かさずに絵を描き続けている。無視したのではなく、聞こえなかったのだということがはっきりと分かる無反応ぶりだ。
「おい」
再度声をかけたが、一向に気付く気配はない。
俺は少し苛立って、テーブルの上に置かれたランプを持ち上げた。
「おい、もう消灯時間だ」