第8章 出発前夜
「あとこれは決して、”やれ”って意味じゃなくて、ただ私がそうやっているってだけの話なんだけど、壁外調査の前には私はいつも遺書を書いている。
それに、仕事でもプライベートでも、何かをやり残してはいかない。必ず終わらせてから、壁外調査に臨んでいるんだ」
そう言ってナナバさんがチラリと見た先には、机の上にポツンと置かれた白い封筒が見えた。
「遺書…。誰に宛てた遺書ですか?ご家族に…?」
「そうだよ。両親に宛てたものだ。いつも勝手なことばかりしている娘からの、せめてもの感謝の気持ちを伝えたいからね。
死んでしまってはもう、それを伝えることもできないのだから」
そう言って少し悲しそうな顔をしたナナバさんの横顔は、憂いを帯びていて普段とはまた違った美しさだった。
遺書…か。私にはそれを書く相手はいない。家族も同然のライデンやおばさんはいるけれど、ライデンは共に戦う仲間だし、私がおばさんに対して遺書を書くっていうのもなんか違うような気がする。
こういう時にふと、自分が一人きりなのだということをまざまざと思い知らされる。
父さんにも母さんにも、私は何も伝えることができなかった。何も親孝行ができていないままだ。
兄さんにもエリクにも、もっといっぱい「大好き」って言えばよかった。もっとたくさん、色んなことを話せばよかった。