第36章 束の間の日常
予定していた実験は順調に消化されていったが、エレンが巨人化してから約1時間が経過した頃、異変が起こった。
地面に文字を書いてもらって会話をしている時、徐々にエレンの書く文字が乱れ始めたのだ。筆代わりに持っている木の棒がブルブルと震え、エレン巨人の表情も、何かひどく混乱し始めたようだった。
”父さんが”
”オレを”
唐突に書き出された言葉に、私はエレンがいつも肌身離さず首にかけている地下室の鍵の事が頭に浮かんだ。あれはお父さんからもらったものだと聞いている。
エレンの実家の地下室には、巨人の謎を解き明かすヒントが隠されていると考えられていて、だから私達調査兵団はそこを目指しているのだ。
それにしても、あの言葉の意味は一体?父さんがオレ「を」、というのが気になる。父さんがオレ「に」、と言うのなら文脈も予想がしやすい。お父さんがエレンに何かをした、と考えられなくもない。だがオレ「を」とは?オレを、どうしたのだろう?
だけど、その言葉の真意に繋がるヒントが得られないまま、時間だけが過ぎていった。
エレンはその間もずっと苦しそうに身体を震わせていて、時折漏れ出る「アアァ」という巨人の声が、ひどく辛そうだった。
そんな姿に、エレンの身を心配しながらも私達はただただ見守ることしかできなかった。正直言ってどうしたら良いのか全く分からないのだ。今、無理にエレンを巨人からほじくり出してしまってよいものか、それとももう少し様子を見守った方がよいのか。