第3章 あの日
トロスト区に流れ込んだ大量の避難民達は、避難所に指定された施設で夜を明かすことになった。
一人に一枚配布された薄い布。まだ秋口に入ったばかりだったけれど、夜になると肌寒かった。
着の身着のままで飛び出してきた私達は、上着も何も持っていなかったから、少しでも寒さを凌ぐため背中をぴったりとくっつけて座っていた。
着の身着のままとは言ったけれど、実は私には、家から持ち出してこられた物がたった一つだけあった。
それに気がついたのは、避難所に到着してしばらく経ってからだった。
配給されたパンを、食欲は無かったけれど何とか口に押し込んだ後、ふと、肩に何かが引っかかっていることに気がついた。手をやってみたら、いつも使っていた斜めがけの鞄が肩にぶら下がっていた。
中には、あの時居間で父と兄に見せていた分厚いスケッチブックが入っていた。二人に見せた後、鉛筆と一緒に鞄に突っ込んで、それを肩からかけていたのだ。
あの大混乱の最中で、よく落とさずにいたものだと思う。
「ラウラ、それ…」
私が手に持っているスケッチブックに兄も気がついて、目を丸くした。
「全然気付かなかった。よく落とさなかったなぁ」
「…うん。私も今気付いた。自分の部屋に持って帰るだけなのに、わざわざ鞄に入れたりしてたおかげかな…」
パラパラとスケッチブックをめくると、兄も顔を寄せて一緒に覗き込んできた。
どのページをめくっても、父からもらったアドバイスが、あの優しい表情とともに思い出されてくる。この絵のこの部分を父が指で押さえて、あんなことを言われたっけ、などと思い浮かべた。
最後に父に見てもらった絵の右下には、いつの間に描いたのか、父のイタズラ描きが小さく描き込まれていて、小さいマルの中に簡易なタッチで描かれた笑顔のマークが無邪気に笑っていた。
それを見た途端、私と兄の目からは涙がとめどなく溢れて止まらなくなった。
あの時あの瞬間の穏やかな時間が思い出されて、残酷なまでに胸を揺さぶられたのだった。