第18章 似顔絵
それに、ハンジ班に入って良かったことはもう一つある。
それはこのアトリエを与えてもらえたことだ。
アトリエには大きな本棚がいくつもあるから、たくさんの絵を置いておくことができる。描きあげた絵を捨てなくてもよくなったのが、とても嬉しかった。
今まではせっかく描いた絵でも保管場所が無かったので、どうしても捨てざるを得なかったのだ。
なるべく整理整頓をして、少しでも多くの絵を残しておけるようにしていたけれど、それにも限界があったからどうしても捨てないといけない時もあった。
描き上げた絵というのは、その一枚一枚に強い思い入れがあるものだから、それを「置き場所がないから」という理由だけで捨てなければいけないのは、とても辛かったのだ。
気が付けば、アトリエの本棚にはスケッチブックやキャンバスがいっぱいになっていて、それらの絵を眺めていると、(いっぱい描いたなぁ…)という満足感と、巨人研究班での活動にやりがいを感じるのだった。
〇
巨人の生態実験期間は決して長くはなかったけれど、その実験中に私が描いたスケッチは何百枚にも及んだ。
大抵は簡単なタッチで描いたものなので、それを研究班のみんなで確認して本格的な絵におこした方がよいものを決めていくのだ。
班の会議で見てもらうために、実験中に描いた絵を整理している時、私はふとスケッチブックの最初の方のページの絵に目を留めた。
「あれ…?これって、いつ描いたんだっけ?」
それは拘束されて座り込んでいる巨人の絵だった。
前の方のページにあるということは、それなりに初期の段階で描いたものだと思うのだが…どうしても思い出せない。
自分の描いた絵を、いつ描いたのか思い出せないなんて珍しいことだ。
私はどんなに些細な絵であっても、描いた時の光景をありありと思い出すことができる。
なんというか、私の頭の中にはその時の場面を切り取ったようなものがあって、「記憶」とはそれら一つ一つを集めて本のようにしたイメージなのだ。
だから、そのページをめくっていって、その時のページを見れば、数年前に見たもののことだって詳細な部分までありありと思い出すことができる。