第5章 イロナキセカイ
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きっと、今だけだと思った
この瞳に気付かないフリさえすれば、
あとはきっと、時間が解決してくれる
差し出した掌に、
カズの瞳が揺れる
潤んだ瞳からは、今にも涙が溢れそうで
ギュッと胸が痛む
「ほら」
促した声に、膝を抱えた掌が離され
硝子玉がチラリと視界に映った
ゆっくりと伸びた掌が、指先に触れる
それだけでも、"待っていた時間"に気付いて
ますます胸が締め付けられた
なのに…受け取ったスペアキーは暖かくて
俺まで泣きそうになる
「潤?」
綾子の声に我に返って
無造作にそれをポケットに突っ込んだ
「早く帰れよ。
家の人も心配するから」
「……ってるよ」
俯いたまま立ち上がり、
尻を叩いて、俺に横を向いた
「……センセ、さよーなら」
呟くようなか細い声が、胸に刺さる
小さくなる背中が見えなくなる前に、ドアを開けた
「ホントに良かったの?
私、あの子がいても構わないわよ」
玄関先で言う彼女の馬鹿な言葉も
酷く遠くに感じる
「もしかして、アナタ。
あの子が待ってるのわかってた?
だから、飲み直そうだなんて誘ったの?」
靴を脱いで、廊下を進む間も、話し続ける綾子を無視して
リビングのソファーに、勢いよく身体を沈めた
「呆れた!
好きなくせに手放すの?
あの子だって、アナタが好きよ?」
「お前が言うな」
「関係ないわよ?でも、」
「お前みたいに、
欲しいものは全部手に入れたいだなんて有り得ない」
「どうしてよ」
「大事だからだ。
だから、俺の欲だけで、アイツの未来まで奪ったら駄目なんだよ」
声を荒げ、そう言い切った俺に
それ以上綾子が意見することはなかったけど
独り言みたいな彼女の言葉が、耳障りだった
「結局、逃げたのね。
すべてを背負う覚悟がないのよ」
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