第3章 見知らぬ誰か
狭霧山はとても不思議な空気に包まれている場所だった。昔から山には不思議なものが集まりやすいというが、狭霧山は別格だ。この山に足を踏み入れた瞬間、感じたのは誰かの視線。偶に人影が視界に入るので気の所為ではないようだが、兄も鱗滝さんも反応がないところを見ると、鼻のいい彼らには感じ取ることが出来ないのだろう。
「……最初に感じた視線は少なくとも5人…その後に6……いや7人いたから…」
つまり、狭霧山には少なとも12の謎の影がいることになる。しかし、彼らはなにか悪さをするということもなく、ただ私たちに視線を投げかけるだけ。それに、偶にこちらを覗いてくる影の顔には、想い入れがあるのか同じような柄の面を身につけていた。
「………悪いもの…じゃなさそうか…」
そう呟きながら私は顔を上げた。鱗滝さんは不器用な言い方をするが、信頼できる人だと思う。鬼に変貌した姉のこともちゃんと『竈門炭治郎の妹』として扱ってくれる。彼が住処としている所なのだから、悪いことは起きないだろう。私は気を取り直して、前を走る兄に声をかけた。兄は真っ青な顔をし、口からはヒューと音が出ている。そろそろ限界を迎えそうだ。
「お兄ちゃん。あと少しだよ! 頑張って……」
その時、私の目には兄の頭がある向こう側の木が映りこんだ。その木のてっぺんにひとつの影が見えた。
「………女の子…?」
綺麗な着物を着た少女。その子は私の視線に気づくと私に微笑んだ。笑顔が可愛い子だと思った。
「……ど…した……幸子」
息もたえだえな兄が咳き込み、私は慌てて彼の肩をさすった。体力に自信があったはずの兄だが、ここは住んでいた山よりも空気が薄い。だからこそ、育手である鱗滝さんはこんなところに住んでいるのだろうが…。あの少女は鱗滝さんの身内なのだろうか?そう思いもう一度視線を上に戻すが…
「…………いない」
その少女の姿はなく、それに伴いこちらを見ていた気配も感じなくなった。私は目を凝らした。鱗滝さんの遠い背が、1軒の家の前で動きを止めていた。私はその背を見て、ふと思った。
「…あの人がいるから、この山は不思議な雰囲気なのかもしれない」
と。