第1章 前編
アーデンの手がユーリの顔に触れた瞬間、次に来るであろう衝撃に備え、そっと息を詰めた。
「…っ!?」
だけど、来るはずの衝撃は、何とも軽いものだった。
唇に触れた、冷たい感触。
それは人が持つには、あまりにも冷たすぎるものだった。
一瞬何が起きたのか分からず瞳を開けば、目の前に広がるあの男の顔。
恐ろしい程整った顔を持つ彼と目が合った瞬間、ユーリの脳内は今の状況を受け入れることを拒否した。
「ちょっと、何してくれるんですか?」
ユーリは男を押しのけると、僅かに上がった体温を隠すように彼を睨みつけた。
何がどうなってキスをする、という行動に結びついたんだ。
昨日からそうだが、本気でこの男が何を考えているか分からなくなってきた。
「あれ?もしかして初めてだった?だったらごめんねぇ」
「違うそうじゃない。私が期待していた行動と180度違うどころか、異次元を超えるようなことしないでください」
「え?初めてじゃないの?」
「そこに食いつくんですか。人を疲れさせることに長けてる私でも、流石に疲れてきました」
「なんだ、そこは自覚してたんだ」
「いえ、これも知人から言われました」
ユーリはもう勝手にしてくれとばかりに肩を竦ませた。
それを最後に、二人の間で暫し重い沈黙が流れる。
「で、ユーリはどうしたいの?」
ユーリは意地でもこの沈黙を破る気がなかったので、会話を切り出すのはアーデンになった。
だが再度問われた、昨日と同じ内容にユーリはため息を吐く。
選択肢などないはずなのに委ねてくるのは、もしかしなくてもおちょくって遊んでいるのだろう。
死に怯え、逃げ惑う姿でも見たいのだろうか。
「その性格の悪さは、イオスを代表して言えますね」
「何それ?規模でかくない?」
「そのくらい胸を張っていいと思いますよ」
ユーリはそう言うと、先ほど触れた唇に手をそっと這わせた。
まるで死人のような冷たさを持った彼に、不思議と恐怖心は湧かなかった。
寧ろ、心が冷たいと唇まで冷たくなるのかと、失礼極まりないことを考えていた。
キスは、あれが初めてだった。
だけどあれをキスと呼ぶには、余りにも情緒に欠けるものだった。