【DC】別れても好きな人【降谷(安室)※長編裏夢】
第90章 いらない記憶
「…ごめんなさい。もう、お見舞いには来ないでほしい」
毎日。
毎日通い続けた蘭さんに、私がそう告げたのは一ヶ月のリハビリを乗り換え、退院の目処がついたときだった。
いつまで経っても思い出せない、思い出すことができない私は、それがとても重荷に感じていた。
泣きそうな顔を精一杯隠して、笑顔で病室を出ていった彼女のことを私はいつか忘れるのだろう。
過去の記憶のように。
病院の周りくらいなら、と外に出る許可が降りた。
自分の足で歩けもしたが、全快ではないからと車椅子に乗ってではあったけど、一人で外に出た。
記憶を失うというのは、なんだか不思議な感覚だった。
名前以外、自分が誰かはわからないのは、自分のことを認識できていて。
過去のことはわからないのは、今も当然だけど、話すことも書くこともできる。
なのに、家族のことも、恋人のことも、友人も、お世話になった人たちのことも、なにも思い出せない。
お医者様が言うには、家に帰ってみるのは良い刺激になると言う。
でも、その家すらわからない。
身分証に書かれていた住所を調べても知らない場所が地図には写っていた。
これ以上は気が滅入る。
どこかに移動しようと車椅子のブレーキを外し、顔を上げた先で
「「あ」」
声が重なった。
目があって、声が出たのはお互い様。
リハビリ室から見かけるメガネの糸目の男の人が、いた。
「はじめまして。いつも、喫煙所にいらっしゃいますよね。お見舞いですか?」
「はじめまして。…ええ、まあ、そんなところです。僕のことご存じなんですね」
「はい、いつも大体同じ時間にいらっしゃるので、もうそんな時間なんだなぁって」
「時計代わりですか」
「あ、いや、そんなつもりじゃなくて」
冗談ですよ、と続ける言葉は耳に馴染む。
「僕も、貴女に気づいてましたよ」
「見られてましたか」
「はい。偶々ですが」
では、と去ろうとするその人の手を掴んできまったのは、何故だか私にもわからない。
でも、
「明日も、会えますか」
そう訊ねてしまった私に「明日も同じ時間に」と口角を上げて微笑むその顔に安心を覚えてしまった。
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