第5章 ヘルサレムズ・ロットとクズと私
店の裏口から、私は呆然と出てきた。霧の空は夕暮れだった。
「……はい。明日にもお返事します。では……」
頭を下げ、裏口が閉まるのを見た。
面倒くさいことになった。
「辞めたんじゃなかったのか?」
顔を上げると裏口の前に、ザップがいた。
「帰ろうぜ」
やれやれ。久しぶりに会ったと思ったらこれだ。また宿泊所代わりにされるのか。
そして気づいた。
「ザップ。大丈夫ですか? ケガしてる……」
私はザップの顔に手をやる。顔だけではなく、白のジャケットに血の跡や焼け跡がついていた。
「ちょっとチンピラに絡まれてな。心配ねえよ」
ぶっきらぼうに言われた。私は血の染みを見ながら、
「うちの洗濯機で落とせるかなあ……」
するとクズはパッと笑顔になり、
「お、今夜泊めてくれる? サンキューな、チサト! 愛してるぜ~!!」
「はいはいはい」
今日はヒモではなく、『本業』を終えてきたらしい。
血なまぐさい臭いがする。
でも気にせず、私はザップの腕に腕を絡め、道を歩いた。
「で、レオの奴がまたドジ踏んじまってよお」
「新人にちゃんと指導するのも先輩の仕事でしょう? 追い抜かれても知りませんよ?」
「へっ。あいつが俺を追い抜いたら、笑いすぎて即死するわ」
適当に話をしながら歩く。
後輩二人の馬鹿話や、ボインの同僚への愚痴が定番の話題だ。
しかし肝心の仕事の話や、それ以外の同僚や上司の話はほとんど聞いたことがない。
近くて遠い世界。
でもそれも、もうすぐ私とは完全に無縁になるのかもしれない。
「……!」
ザップが目の前にいたかと思うとキスをされた。
交差点で立ち止まったときだ。周囲はいちゃつくカップルなど一顧だにせず、歩いて行く。
ザップはすぐ顔を離し、また腕を組み歩き出す。
「……で、何でおまえ、さっき『あの店』から出てきたんだ。辞めたんじゃなかったのか?」
あの店。
私を早朝から深夜までコキ使い、残業代もろくに出さなかったブラック食堂である。
働いてるときは感覚がマヒして、異常とも思わない状態だったけど、それに気づいたザップに辞めさせられた。
他人に干渉しないザップがそんな真似に出るんだから、よほど追い詰められていた顔をしていたのかもしれない。