第4章 暗転と覚醒
「降谷さん?」
「…!あ、すみません」
眉を潜めた彩葉の伸ばされた手は張り付けられた笑みにそれ以上進むことはなかった。完璧すぎるその笑顔はそれ以上の侵入を拒絶しているようにも見え、目的を失った白い手はゆっくりと下がった。
そのまま腰を折った彩葉は冒頭の言葉を発した。定型文のような降谷の返しを気にした様子もなくすれ違う。薄い肩が降谷の視界からもうすぐで消えるというとき、ピタリとその足が止まった。
「…どうしました?」
「今…いえ、なんでもありません。失礼します」
背を向けた彩葉から視線を逸らし、彼女が見ていた方向に目を凝らすと一人の女性が一心不乱に走り去っていくところだった。
その背中を視界に入れた降谷の心臓がドクンと音を立てた。内心で首を傾げつつ女性を見つめ、捜査対象にいたかと脳内で資料を捲る。
「南海さん!!」
聞き慣れた子供の叫声にズキンと頭が痛み始めた。刹那、ドンともガシャンともとれる音が轟いた。
何事だと目を向けた周囲の人間が次々に叫び声を上げる。
事故よ!
信号無視だ!
女性が轢かれた!
救急車を呼べ!
運転手は!?
それよりこの人が!
南海さん!
どいて!南海さん!
混乱状態に陥った現場のすぐ後ろで降谷は街灯に寄り掛かり頭を抱えていた。
目を開けた先には既に野次馬が出来上がり、更に混乱を極めている。その野次馬の隙間から見えた女性の姿に、ズキンと一際痛みが増した。
悲鳴や怒号が飛び交う中、降谷の脳内でも膨大な映像が飛び交っていた。覚えのないそれを徐々に懐かしいと感じ始める。
身体が震え、鼓動が五月蠅いほどに呻る。
投げ出された白い手。曲がる筈のない方向に曲がった足。乱れた長い黒髪。血に濡れる顔。
「…っ」
<…くん>
<れ…くん>
<零くん>
<大好きよ>
記憶の中の濡れる琥珀が愛おしそうに細められた。
そうだ。彼女は、彼女は僕の…。
いつから駆け出していたのかこの時の降谷には分からなかった。ただ一つ分かっていたのは地を紅く染めながら横たわる人物が誰よりも愛している女性だということだけだった。
「っ南海!!」
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