第14章 告白と小さなお別れ
施設にいた頃は、自分の手の平の火傷がまるで母に存在を否定された証のように思えて、ずっと嫌だった。
こんな手、嫌だ。
でも、周りも可哀想な子供ばかりで、虐めることでしか自分を正当化できない人ばかりだった。
先生も、その可哀想な子供を虐める奴らばかり。信用できる人はいなかった。
・・
1人を除いては。
『自分の手が嫌いなら、好きになればいい。嫌いなものは、自分の力で自分なりに乗り越える。それが、“成長する”ことだと、先生は思うよ?由来ちゃん』
彼女は膝に手をついて、そうやって私に教え説いた。
私にピアノを教えてくれて、初めて教わった曲名と同じ名前の人。“華音”(カノン)先生。
彼女にピアノを習って以来、私は自分の手の古傷を気にすることはなくなった。
(あの人は子供の世話に関してはからっきしで、ドジなところがあったけど、ピアノは超絶にうまかった)
由来は珍しく、自分の嫌な部分の過去を思い返した。
その中の小さな、たった一つの想い出を掘り起こす。
いつもポニーテールをしていて、別の先生にいつも怒鳴られて弱気な性格だったけど、ピアノを前にすると、別人のように真剣になる。そんな人だった。
元は有名なピアニストらしかったけど、スランプや故障が積み重なって現役を引退。
それでどういう成り行きで養護施設の先生になったかは知らないけど、そんな先生が教えてくれたおかげで、私は今まで何個か賞を取れたんだな。
初めて賞を取ったのは、小学3年生の時。のちに義兄になった上条倫太郎という男に引き取られて、生活が落ち着いた頃だった。
大会が終わった後、あの人にお礼を言おうと、あの忌まわしき施設に足を踏み入れた。
兄に引き取られて以来、初めて帰ったんだ。
少し小さくなっていた門を叩いて、緊張や不安を喉の奥に抑え込んで、前に進んだ。
ちゃんとお礼とお別れを言って、これからの自分のために前に進もう。成長しようと、そう思っていた。
けど、お礼もお別れも、ちゃんと言えなかった。
なぜならその人は、すでに施設にいなかったんだ。いや、もうこの世にいなかったと言った方がいいか。
話を聞いたら、患っていた子宮けい癌が急に悪化して、私が施設を出てたった数日後に亡くなっていたらしい。
私は持っていた感謝の手紙と賞で貰ったトロフィーを床に落とした。