第1章 日常のはなし。
唐突だが、私の会社では残業は給料に入らないらしい。
そのやる意味も何もない残業を片っ端から押し付けられ、家に着いたのは23時がすでに終わりを迎えそうな頃。
ふらふらと歩いていた帰宅途中に、ラーメン屋から美味そうな匂いが漂って来ていたが、健康面を考えてなんとかそれを無視した。
社畜サラリーマンなら私の偉さが分かるはず。豚骨ラーメン食べに行かなかったんだよ…?ねえ……分からない……?人間ドッグで暴かれるコレステロール値に向ける尋常じゃないこの気持ち……
「もーっ、遅いですよさん!」
ついに疲れ果てたせいで幻覚まで見てしまったのだと信じ、無視して部屋に入る。
そうだ、幻覚でもなければ、褐色肌で透き通る様な青い瞳を蜂蜜色の髪の毛から覗かせている、喫茶ポアロのアルバイト店員が私の家に上がり込んでいる訳がない。
すると私の上着を無理矢理剥はぎ取って、ハンガーに掛けに行くそいつ。
まあ別に幻覚じゃなくてもそういう事しちゃう奴だよね、知ってた。
「…あんたはなんなの?私の彼女なの?」
「さんがお望みとあらば……」
きゃっ、と頬に手を添えて言う安室透を無視し、手を洗ってからリビングに向かう。
そこにあったのは酒とおつまみとハムサンド。
何故こいつはこうも私の食べたい物ばかりくれるんだろうと、心に深く染み入ってくる感動に目頭が熱くなる。最近涙腺緩くなって来たから危ない。
だがしかし、デスクワークに疲れてもう閉じそうになってきた目に入り込んだ、"やわらかさきいか"のパッケージを見て涙が溢れた。(涙腺ゆるっゆる)
本当、つくづく安室透は私の好物を知り尽くしている。
「お酒色んなの買って来たんですけど、バーボンって好きですかね?」
「え?ああ、好き」
そう返すと、「……そうですか」と頬を赤らめて言うそいつ。
安室さんが『バーボン』という言葉に敏感だとは薄々思っていたが、今頬を赤らめたのは何故だろうか。前回沖矢さんがバーボンと言葉を発したら敵意剥き出しの表情をしていた癖して。
安室透と言う男は、非常に謎が多いのである。