第10章 西方ニテ小競リ合イ有 鎮圧セヨ
じわりと頭に血が上る感覚に、中也は目を細めて其の女を見た。取るに足らない三下から、無闇矢鱈と罵倒されては、気持ちの善いものではない。唯、見るからに雑兵である相手に対し腹を立てるのも馬鹿馬鹿しい上、舌戦で翠に軍配が上がっている以上、手を出す必要もないと、口を噤む。それに、体が酷く怠い所為で、くだらない言い争いに参加するのも億劫だった。
「どの口が面汚しと云うのです。有り金を全て博打で失って丸裸で帰ってきた貴女が?小男に誑かされて事業を傾けた貴女が?腹を痛めた子を捨てた貴女が?ご自慢の美貌も衰えて久しいのでしょう。頭に中身の入っていない小物は下がりなさい。品位だけでなく常識すら失くしましたか?」
随分と痛烈な事実を突きつけるものだと思いながら眺めていると、其の女は翠から標的を変えるように中也を見た。一云えば十返ってくる翠と口論したくない気持ちは良く分かる。
「こんな小さな男女に引っかかる小娘に云われたくはないわ!」
中也を指差す其の女に、身体中が煮え滾るような苛立ちを覚え、中也は瞬間的に異能力を爆発させた。門を背に振り返り中也に手を伸ばす翠が、予期せぬ衝撃に怯える尾崎家を守り従えているように見えて気にくわない。
「安い挑発に乗ってどうするのです」
翠の手が中也の頬から首筋を辿った時、首に刺すような痛みが走る。反射的に翠の手を振り払うが、視界が揺れて定まらず、足元も覚束ない。中也は引きずり込まれるように膝を付き、意識を手放す。
倒れる瞬間、翠の手に、中也と翠の瞳の色を象った指輪が見えた。