第8章 名もなき人々の肖像
高価値の宝石を、まるで今夜の夕食の材料でも買うように、次々と購入するお客様がいる。決まった時間に来てお茶会を開くような暇を持て余した大金持ちの奥様方とは違う。其の人は突然やってきて、ものの数分で桁違いの買い物をしていく男性だ。
彼が来る度に、此の宝石店内は急速に慌ただしくなる。目鼻立ちが整っていて、何時も上質なスーツを着込み、高額商品に怯みもしない様は、販売員である女性たちの噂の的だ。背が低いことを差し引いても、女性の心を奪うのに余りある仕様である。商品を贈答用に包む間、此れを受け取る女性を羨むこともしばしばある。
一方で彼は忙しい人で、悩む暇もない。勧める商品を此れと決めなければ、準備に手間取り、お買い上げまで繋がらないのだ。最近では本社の役員と店長が別室で対応する程に、神経を使う。茶を出すために用意していると、帰ってしまっていた事もあった。
うららかな日差しの昼下がり、店舗の窓から、青空の下照りつける長閑な太陽の光を見ていると、視界の端に黒塗りの高級車が飛び込んできた。息を呑み、今日の大一番がやってきたと、慌てて店長を呼ぶ。お客様が店内に足を踏み入れるまでに、準備を整えなければ、今日の売り上げが逃げていくと、店内は一時騒然とした。