第5章 偽りの目
翠の輪郭を伝って滑る汗が、その顎先からポタポタと落ちる。肩を上下させる程に荒れた息の所為で、彼女の喉の奥からは掠れて乾き切った咳が溢れ出る。
「翠、無駄な抵抗は止めよ。異能を解放さえすれば、自然と身体は守られる筈じゃ」
何か酷く重い物でも持ち上げるように顔を上げた翠は、しかしながら、澄み切った瞳で紅葉を見据えた。彼女の美しい翡翠色の瞳が、紅葉は苦手だった。意思が強く、道を違えず惑わない彼女の強靭な精神力に当てられ、自身の脆弱さを目の当たりにするようだった。
眩しいのうと、心の内から声が溢れ落ちる。翠は眩しい光そのものだ。何故こんなにも柔婉な折れぬ心の持主でいられるのだろう。
「大切なものを守りたいと願うことの、何が眩しいものか…」
絞り出すような声で、しかし誰に云うでもなく自分自身に聞かせるように、翠は思いの丈を吐露する。
「…此れは抵抗ではなく、希う事の凡て。手の届く範囲でいい、五指の数より少なくていい。守りたいものが、其処にあるから」
紡ぎ漏れ出る言葉のように、翠から異能が滲み出す。其の嘗てない濃厚さに、紅葉は神経を尖らせた。