第10章 嵐の前の喧嘩日和
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ヨコハマの街を見下ろす丘の上、海の見える墓地。その中の一つの墓標に背中合わせに座るように葉琉は居た。
ーーまた太宰と喧嘩したのか。
そんな声が聞こえた気がした。昔から太宰は葉琉を揶揄う事があった。その度に織田作に愚痴っていた。
「織田作。私、治ちゃんが何を考えてるか判らないよ」
ーーそうか?葉琉の事になると、太宰は判り易くなると思うが。
側から見ると墓に背を預けて独り言を話している少女だが、葉琉には背中合わせに話す織田作の姿が浮かんでいた。織田作はあの頃と変わらない姿で、あの頃と同じ答えを返す。
「四年前のあの時、織田作の言葉で心から人の為に生きたいと思った。それと同時に、壊れそうな治ちゃんを失いたく無いとも思ったの。あの時の治ちゃんは私を必要としてくれている気がしていた。だから姉や憧れの人を置いてでも大切な友達を守りたいと思ったんだ。私は治ちゃんの矛となり、盾となろうと思った。でも…もう治ちゃんは私を必要としていないのかな……。
昨日ね、葉月と会えたの。葉月と話してちゃんと前に踏み出せた心算だったの。付いていくのではなく、ちゃんと自分で探偵社に居たいって思ってたの」
ーーだったら、それは俺では無く太宰に直接言うべきだ。
その時、強い風が吹いて周りの木々の葉が舞った。風が吹いた方を向くと、其処には太宰が立って居た。
「治ちゃん…」
太宰は何も言わずに外套のポケットに手を入れて立って居た。太宰は歩き出すと葉琉の隣に座った。葉琉は太宰から顔を晒した。
「済まなかった」
太宰から最初に発された言葉は葉琉にとっては意外なものだった。
「葉琉が自分から探偵社に居たいと思っていたことも判っていた。そうでないと昨日脱出したのは私一人の筈だからね。それでも…」
ーーそれでも葉琉からあの蛞蝓の名前が出るのが許せなかったのだよ。
太宰は最後まで伝えずに心の中で呟いた。
「治ちゃん。私も…ごめんなさい。治ちゃんが厭なの判ってて名前を出しちゃって。でもね、私別に中也が好きとかそういう気持ちは無かったみたいなの。自分の事なのに、最近気付いたんだけどね。私が抱いていたのは師としての憧れだった」
太宰は驚くように葉琉を見ていた。