第10章 嵐の前の喧嘩日和
その後、谷崎やナオミ、賢治や乱歩に生還の報告を行った。
「そう言えば、社長は?」
国木田に尋ねると手帖をパラパラとめくり「いまは外勤だ。もう少ししたら戻られるだろう」と言った。
「じゃあ社長への報告は帰ってからだね」
「あぁ、そうしろ。それより葉琉、報告書は進んでいるのか?」
葉琉は自分の手元に目を落とす。そこには【報告書】と書かれた紙が置いてあった。勿論、まだ何も書き込まれていない。
「ねぇ、国木田君。私、こういうのって本当に苦手なんだけど」
「苦手如何こうの話ではない。仕事だ。やらなければならない事だ」
「判ってるんだけどねぇ。…あーー!躰動かしたい」
うーんと両腕を伸ばす葉琉を呆れ顔で見る国木田。しかし、直ぐに葉琉の後ろに現れた人物に視線が移った。
「葉琉は三年程ちっちゃいゴリラに育てられた様なものだからね。発想がゴリラの様になってしまったのだよ」
この人を小莫迦にした様な話し方は一人しか思いつかなかった。判っていたからこそ、葉琉は振り向かなかったら。
「太宰、何時だと思っている。葉琉はもっと早くに来ていたぞ」
「済まないね、国木田君」
何時もの調子で接している太宰。しかし、最初の言葉からまだ機嫌が直っていない事が分かっている。葉琉は席を立ち上がり、太宰を見る事なく事務所を出て行った。
「おい太宰、葉琉のあれは何だ。喧嘩したのならさっさと仲直りしろ」
国木田は眉間に深い皺を寄せ乍、眼鏡を直した。葉琉と太宰は喧嘩したことが無いわけではない。しかし、何時もは葉琉が一方的に癇癪を起こして、太宰が何時もの調子で其れを治めるというものだった。今回の様な状況は初めてだ。太宰は何も言わずに葉琉が消えた扉を見つめていた。
その様子を焦りながら見ていた敦の横で、鏡花が立ち上がった。そして、葉琉を追いかける様に事務所を出た。