第10章 嵐の前の喧嘩日和
場の空気がガラリと変わる。葉琉はしまったと太宰を見た。太宰は口元で手を組みながら冷たい目で葉琉を見ていた。
「あ…治ちゃん。今のはそんな変な意味じゃなくて」
つい言い訳のような意味の判らない事を発してしまった。だが、太宰は表情ひとつ変えないで黙っている。
(完全に地雷踏み抜いた…)
「あのね、治ちゃ…」
「好きにすればいい。中也が良いなら戻ればいい。私は何も困らないよ。君もあの蛞蝓に遭ったのだろう?遭ってまた気持ちが再燃でもしたかい?」
葉琉は勢いよく立ち上がった。そして太宰を睨み付けると、机にお釣りが来るほどのお金を置いて店を出て行った。
葉琉が去った後、太宰は天井を見つめ深い溜息を吐いた。
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次の日の朝、葉琉は探偵社の扉の前に居た。結局、脱出したその日は探偵社に戻る事はなかった。怒りでそれ処では無かったのだ。どんなに考えても太宰にどんな意図があって、あの発言をしたかは判らない。
確かに昔、中也の事を好きなのでは?と思った時期もあった。しかしそれは、師として慕っていただけであって愛とか恋というよりは憧れであったと今なら判る。
(それを…あんな言い方しなくても)
葉琉は中に入れずにいた。中に太宰が居た時、どんな顔で会えばいいか悩んでいたからだ。このままここに立っていても埒があかない為、結論が出ないまま扉を開けた。
「…お早うございます」
「葉琉さん!」
「なンだい。怪我はしてないンだね。つまらないねぇ」
「敦君、与謝野先生、ご心配をお掛けしました」
真っ先に駆け寄ってきた二人に頭を下げた。
「全くお前等二人は、今回は脱出出来たから良かったものを…」
諄々と始まった国木田の説教を聞き流しながら周りを見渡した。どうやら太宰はまだ来ていない様だった。ほっと胸をなで下ろすと一人の少女が目に入った。和服を纏った小さい少女だ。