第11章 予定外の幸福
暫く経って、泣き声がしなくなったな、と思いきや。突然、彼女はスクッと勢いよく立ち上がり、目の周りを赤く腫らしたまま真剣な顔で俺を見下ろした。その謎の迫力にちょっとビビる。ど、どうしたんだろう。
彼女はベッドに付いてるサイドテーブルを俺の間近まで引き寄せると、そこに一枚の紙をバンッと力いっぱい叩き付けた。
こ、これは──!?
いわゆる"婚姻届"というものだろうか。わあ、初めて本物見た。あれ。妻になる人の欄に、菜花ちゃんの名前が既に書かれている。
「レトルトさん」
「は、はひ」
数十年ともに過ごして来て初めて聞いた、彼女の低い声。キッと吊り上がった目。本名ではなく配信者名で呼ばれた事。俺はその恐ろしい剣幕に気圧されて、思わず声が裏返った。
わ、わ、怒ってる。ほ、ほんまに、めちゃくちゃ、怒ってはる。そら、叱られても仕方のないアホをやらかしてしまったのですけれども。これほど心配させてしまったことの申し訳無さに、俺は彼女の顔を見ていられなくなり、目を伏せる。が──
「結婚しましょう」
唐突に吐き出された彼女の言葉。それは間違いなく、プロポーズの言葉だった。
「え?」
俺は自分の耳を疑い、すぐさま顔を上げた。彼女の眼差しは真剣そのものであった。
「……えッ!?」
「聞こえませんでしたか、レトルトさん。私と結婚してください」
「ひぇ、あの、き、聞こえてます、聞こえてますけど、えっ……そ、それは、プロポーズ、ですよね……?」
まだ怒っている様子の彼女は、混乱する俺を見て、呆れたように深い深い溜息を吐き出した。
「ほんとは、ルトくんの方から言ってくれるまで待っていたんですけど、」
春人くんのお嫁さんにしてもらう、あなたからのプロポーズを待つ、そういう約束だったから。
彼女は少し照れながらそう言った。が、またすぐお怒りモードに元通り。