第13章 甘党のあさごはん
さて、これで準備は万端。私は玄関の扉に手を掛けた瞬間、ハッと、出掛ける前に必ずすべきである重要な"儀式"を思い出した。思わず「あっ」と声が漏れて、私は慌てて彼の方を振り返る。
いけません。私としたことが、大変な忘れ物をしていました。
「ん? どないしたん、やっぱり何か忘れ物──」
私は少し背伸びをして、途中まで吐き出しかけた彼の言葉を飲み込むように、その唇に触れた。一瞬、時が止まったように感じる。私はすぐに離れた。
彼は何が起こったか瞬時に理解出来なかったようで数秒停止していたが、私がにんまり笑って見せたら理解したようで、みるみる顔を赤く染めていった。
「──ぅ、えッ! ちょっ、なん、今のなに!?」
「いってきますのちゅー、ですかね?」
「疑問形!? こ、こういうのは、見送る側が『いってらっしゃい♡』言うてするもんちゃうの、待って、やり直させて! 不意打ちは反則やと思います!!」
「えー、あんまりモタモタしてたら遅刻しちゃいますから。また今度」
「やだやだっ、今ちゅーしたい!」
妻を貰った成人男性とは到底思えない、子供のような駄々の捏ね方である。でもそれが可愛くて可愛くて、結局、私は素直に目を閉じてしまう。
私の両肩に、彼の両手が少し強くグッと添えられる温度を感じた。もう一度。今度は彼の方が近付いて、ふに、と互いの唇が触れ合う。ゆっくりと名残惜しそうに離れていったことを確認して、目を開けた。
しっかりリベンジの出来た彼は、心底幸せそうに目を細めて笑っている。そして、私の長い髪の毛をするりと撫でてから、言った。
「いってらっしゃい!」
嗚呼──私、あなたのお嫁さんになれて、幸せです。
「ふふ。なんだかとても、新婚夫婦っぽいですねえ」
「へへ、ほんまに新婚夫婦やもん、ええでしょ。じゃあ、気をつけて。寄り道せんと、はよ帰って来てね!」
「うん、ありがと。いってきます」
満足そうな笑顔でぶんぶんと大きく手を振る彼に見送られて、私は遅刻してしまわないよう早歩きに職場へと急ぐのでした。
今日のお夕飯は、彼の大好きなグラタンを朝のお礼に作ってあげよう。そんなことを、にやにや考えながら──。
-了-