第1章 Ticket
幹に背中を預け、深くため息をつく。
濡れた衣服に風があたり、寒さが全身を貫く。思わず2度目のため息をつきかけた時。降りしきる雨粒の向こうに、1つの影を見つけた。
スプリングコートを羽織った、いかにも女子大生といった出で立ちの女。
どうやらこちらに近づいて来ているようだ。やがて同じ木の下で立ち止まった彼女は、視線を泳がせながらくぐもった声を出す。
「これ……良かったら使ってください」
差し出してきたのは、彼女が今まで使っていたビニール傘。開かれたままのソレを前に、坂木は驚いて声を上げる。
「ありがたいのですが、それは……」
「大丈夫です! 私、もう一つ持ってるんで」
ビニール傘を強引に手渡した女は、鞄の中から折り畳み傘とハンドタオルを取り出した。「風邪引きますよ」とタオルも押し付け、自分は手際よく傘を広げていく。
「あれ? タオル使ってください」
「いや……」
ビニール傘とタオルを手に固まった男を見かねたのか。彼女はタオルを取り返すと坂木の額を優しく拭った。
その行動と距離に呆気にとられていると、タオルの奥から覗く丸い瞳とぱちり。と音が鳴るほどに目が合った。
その瞬間、恥ずかしそうに頬を赤らめ視線を外したのは2人同じ。
「すいません! じゃ、じゃあ私はこれで!」
「ちょっと待っ……」
坂木は逃げるように立ち去る背中を、どうしても追いかける事が出来なかった。
それは予想外の行動をとった彼女のせいだ。だって、あれはどう考えても……
「近すぎんだろ」
坂木は己の顔を隠すように右手で覆った。どう考えても、心臓が送り出す血液量を間違えている。
情けない事に火照った熱が冷めるまで、暫く動けなかった。