第1章 Ticket
「俺達、どこかで会った事ないか?」
その言葉が届いた時。彼女は一度その瞼を閉じ、心底嬉しそうに笑った。
「実は私も、同じ事を言いたかったんです。前に会いましたよね。って」
「あぁ、でもどこで会ったのか思いだせねぇ」
「そっかぁ、私は覚えてますよ?」
少し残念そうに、それでも楽しそうに。細い指先が坂木の羽織るジャケットを指差した。
「このワンちゃん、とても印象的だったから」
「あ?」
彼女が言うのは、坂木のジャケットに施された刺繍の事だ。
それは光沢のある生地の胸元、左右で向かい合うように描かれている。
「スカジャンって怖くて悪っぽいイメージだったんですけど、これは何故か可愛いく見えたんですよね」
ケラケラと笑う彼女をよそに、坂木は思考を巡らす。
この上着は今月に入って久しぶりに出した物だ。しかし、近い記憶の中には彼女はおろか、女と喋った記憶すらない。ということは、会ったのは夏の前――大体2、3か月前か。
「山下公園ですよ」
押し黙った坂木を見かねたように、女が答えた。
それはこの辺りで最も有名な公園。水平線まで続く海と空が開放的で、晴れた日にはベンチや青々と茂った芝生の上で多くの人々が穏やかな時を過ごす。ちなみに石を投げれば必ず当たる程、カップル率が高い。
だからこそ、普段は絶対に寄り付かない。
だからこそ、すぐに思い出した。
今年行ったのは――あの日だけ。
「お前、傘をくれたか?」
「風邪、引きませんでしたか?」
質問を質問で返され、思わず声を上げて笑った。やはり、あの時の女で間違いないようだ。