第1章 Ticket
「なぁ、人違いだったら悪いんだが……」
「こんばんは。ご挨拶させて頂いてもよろしいですか?」
聞き慣れない声が、坂木の言葉を遮った。
声がした方向、カウンターの向こう側には先ほど彼女が「お兄ちゃん」と言ったバーテンダーの姿。
思いがけず視線が合い、ほとんど反射的に会釈をすると彼は自己紹介と「妹がお世話になりました」という言葉を添え、同じように返してくれた。
きちんとセットされた髪に、乱れなく着用された制服。華やかな目鼻立ちは隣に座る彼女とそっくりだ。
「水野、だからあれほど来るなって言っただろう?うちは若いお客さんも多いんだ」
「ごめんなさい。どうしてもお兄ちゃんが働いてるところを見たくって」
その後も兄の小言が1つ2つと続いた後、彼はお礼も兼ねて1杯ご馳走すると、坂木に申し出た。
当然そんなつもりではないと躊躇するが、カウンターの向こうからメニューを押し付けられ、坂木は適当に一番上に綴られていたカクテルを指差した。
「……ところで、2人で何を話していたんだい?」
ミキシンググラスに氷を入れ、水を注いだところで兄は妹と見知らぬ男を眺めた。しかし2人の注意はその手元へ。妹はもちろんだが、その隣からも熱心に視線を送られ思わず苦笑いを零す。
やがて出来上がったカクテルを、真剣な顔つきでグラスに注ぐ。最後にレモンバームで香り付けした後、卓上を滑らせた。
「ありがとうございます」
「いえ、どうぞごゆっくり。水野も違うの飲むか?」
その問いに二つ返事で返した彼女。中身が半分以下になったグラスを下げつつ、兄は再び口を開いた。先ほどとは違い、少し含みのある声で。
「で、2人は何を話しているのかな?」
貼り付けた笑顔で妹に問う兄を見て、坂木はその心中を察した。
おそらく、妹に悪い虫が付かないか心配なのだろう。そりゃあ酒の席で妹が男に声を掛けていたら面白くないだろう。その気持ちは自身にも妹がいる分、理解できる。