第8章 現実逃避行
「…っ」
踵を返すと元来た廊下を走っていた。
「若利くん、走っちゃ…!」
病室の引き戸を開けると、一人ぼんやりベッドに座っていた。
泣きもせず、無表情のまま、どこを見るともなく。
「…」
「……」
「俺は…、お前が好きだ」
「……」
「いてくれなきゃ、困るんだ」
「…牛島くんは、優しいね」
言いたいことが半分も伝わっていない。
……気がする。
「もういい」
の荷物を勝手に漁る。
ボストンバッグに入っている適当な羽織を探した。
「な、何してるの…?」
「逃げよう」
「えっ!?」
無理やり被せるとそのまま俵を担ぐようにを抱く。
「ちょ、ちょっと、何を…するの…!?」
彼女だけにこんな仕打ちをしてくる現実から少しだけ、逃げようと思った。
こんな場所にいるよりも、ずっと早く良くなれるとすら思う。
言葉にするなら
「現実逃避だ」
「ま、待って…!でも、私、治ってないし、パジャマだし……お金も……」
「誰もいないところに誰も見られないところに行けばいい」
「……そ、そうだけど…」
他の患者に迷惑にならないよう、非常口階段から走って降りた。
病院から出て、開いてしまった二人の時間を埋めるかのように逃げ出した。
おぶっている軽すぎる身体が、背中からじんわりと伝わる。
裏切ってきた大人たちの声は聞こえない。
「わ…っ!は、速いね…!」
「毎日走ってる、このくらいなんともない」
「そっか……っ」
「しっかり捕まれ」
ただ、ひたすら走った、煩い日常から消えていくように。
静かな場所を目指して。