【ハイキュー】駒鳥が啼く頃、鐘は鳴る【木兎&赤葦】
第2章 秋霖 ①
なかなか馬車から出てこようとしない八重に痺れを切らしたのか。
赤葦は持っていた傘を広げると、それを車体の屋根の高さに合わせてかざした。
“さっさと降りてください”、そう言いたいのだろう。
「足元が滑ります、お気を付けください」
自身は水滴が落ちるほど髪や服を濡らしているのに、広げた絹製の洋傘を八重の頭上だけにかざす。
赤葦だけではない。
八重を出迎えている他の使用人たちも、目立たないように努めているが、雨と寒さで震えているように見えた。
いったい、いつからここで傘も差さずに待っていたのだろう。
「こんなに冷たくなるまで・・・」
自分を支えるために差し出された手も氷のように冷たく。
それに触れた途端、理由もなく悲しさに似た感情が込み上げてきた。
明治政府によって新しい時代が築かれたにも関わらず、ここはいまだ君臣主従の関係が色濃く残るのか。
「ありがとう、赤葦さん」
労わるように、赤葦の濡れた手を包んだ温かい手。
その瞬間、それまで無表情だった家令の眉間にシワが寄った。
手を握られたことに嫌悪しているようにも見えたが、これから主となる令嬢の手を振り払うわけにはいかなかったのだろう。
「八重様こそ、お身体が濡れる前に御屋敷にお入りください」
赤葦はやんわりと八重の手を握り返すと、足元を滑らせないよう気を配りながらもその冷たい瞳を客人に向ける。
「それから・・・私のことは赤葦とお呼びください」
「・・・?」
「私ども使用人に対して一切のお気遣いは無用です」
貴方が毅然とした態度でいて頂かないと、旦那様の威厳に関わりますので───
赤葦は決して無礼な態度を取っているわけではない。
しかし、エスコートするため以上に八重に触れることを拒んでいるようだった。
「・・・分かったわ」
秋雨で濡れたその手以上に冷たい瞳をしている若き家令。
彼が取り仕切る梟谷の屋敷はこの雨のせいだろうか、どこか悲哀と憐憫が漂う濃霧に包まれていて・・・
梟谷で八重を待ち受けている運命がどのようなものかを暗示しているかのようだった。